2010年11月3日水曜日

今のふつうを知るリンクとしての新聞 ~雑誌としての新聞再発見~

テレビ同様、衰退が話題となっている新聞ですが、最近、新聞も悪くないなと思えました。

というのも、総合雑誌としてみたら、新聞も悪くないんじゃない?ということです。

一ヶ月3,000円台で毎朝届く雑誌としてみたらどうか?というもの。
一人だけで見るとなれば、確かにコストパフォーマンス的にどうかなと思いますが、家族で、つまり複数人でそれぞれの時間で読むことができるならやはりお得だと思います。

確かに、新聞の一面に掲載されている記事はパソコン画面ですでに読んだことのある記事だったり、社説だって「どうなんだろ、この切り口は」と思わないということは全く無いなんて言いません。

それでも、逆にそういうNewsとしての新聞にまったく期待しないとなると、意外と面白いということに気が付きます。

例えば、インタビュー記事なんかは、割と有名な人が取り上げられたり、あるいは連載を持っていたり。それが意外な人物だったりするとやはりお得感はあるわけで。
新聞でこういう発見をするたびに、「新聞を雑誌として考えてみたら、ありえないくらいの累計発行部数で、ネームバリューもあるからかな」と思わず納得してしまいます。

さらに、幅広い分野での生活情報も意外と楽しめます。特に、メインのターゲットが高齢者や主婦層なのか、病気や健康、料理レシピ、生活アイディアなどの充実ぶりが「雑誌感」を感じさせることに拍車をかけることに

逆に政治や経済の記事の扱いはなんといっていいか、継続的にひどくなってて、全面広告に分断されたりしている経済面をものすごい不便と不愉快さを感じつつ読んでいるとき、管理人の中での新聞の「新聞としての位置づけ」は終わりました。

そうはいっても、悪いというわけでありません。特にツイッターやRSSから情報に接触することが多い人にとっては。

目の前にある新聞紙面そのものが、今の時代の世間一般の大多数が求めている情報であり、世間一般の「ふつう」像そのものなんですね。
正解かどうかはだれにもわからないですが、数千人もの人が携わる新聞社が「大多数の人がこれを求めていて、こうすれば売れるに違いない」と考えに考え抜いて導きだした「回答例のひとつ」であることは間違いないわけです。(解答ではないはず?)

つまり、普段なら接するはずもなく、自分自身の日常生活に全く関わりのない、でも、世間一般では「あたりまえ・常識」とされる情報も含まれているということです。

ツイッターやRSSは自分自身が「読みたい・心地良い」と思った情報が簡単に集められて、「自分で自分の読みたい雑誌を編集・制作」しているようなものですから、興味のない情報は容赦なく排除される傾向にあるわけです。
だからこそ、常にに変わり続ける世間一般を知るための「リンク」・「アンカー(錨)」としての新聞は結構いい仕事をしてくれます。


というわけで、ながながと書きましたが、管理人は不満を感じつつも、新聞を取り続けていこうと思います。
朝起きて、コーヒーやチャイ、紅茶をその日の気分で入れて、それから新聞を見開きで広げる。そして、ざっと目を通す10分ちょっとの時間のお供として不足が無い限り、という条件付きですけどね。

0 件のコメント:

コメントを投稿